第一次世界大戦というと、もう100年以上も前の出来事。
でも、その背景をじっくり見ていくと「人間の思い込み」や「情報の伝わり方」が、
今の時代にも驚くほど重なって見えるんです。
当時は、SNSもテレビもない時代。
それでも“誤った情報”や“意図的に作られたニュース”が、
人々の感情を動かし、国同士を戦争へと突き進ませました。
「誰が悪かったのか」よりも大切なのは、
「なぜ、世界中の人々が間違った方向に進んでしまったのか?」という視点です。
情報があふれる今の時代だからこそ、
100年前の“情報操作の失敗”から学べることは、想像以上に多い。
この記事では、第一次世界大戦を通して、
“情報が人を動かす怖さ”と“現代へのヒント”を、わかりやすく紐解いていきます。
1. 戦争を動かした「情報の力」

1-1. 情報戦が本格化した最初の戦争
第一次世界大戦は、“銃や砲弾だけでなく、情報で戦う時代”の幕開けでした。
それまでの戦争は、軍と軍が戦場でぶつかるものでしたが、この時代になると「国民の心」を動かすことが、戦争を勝ち抜くカギになったのです。
各国は新聞社や通信社を国家の宣伝機関として使い始めました。
政府発のニュースは、「この戦争は正義のためだ」「敵は残酷で危険だ」といった内容で埋め尽くされ、
国民が戦争を“応援する空気”が意図的に作られていきました。
つまり、戦場だけでなく、新聞やポスター、演説が“もうひとつの戦場”になっていたのです。
今で言えば、SNSやニュースサイトで「どの情報を信じるか」が政治を左右するようなもの。
第一次世界大戦は、人の“感情”を動かすことで、国家を動かした最初の「情報戦争」だったと言えるでしょう。
1-2. 情報操作の典型例:ドイツ=悪の帝国というイメージ
なかでも有名なのが、「ドイツ=悪の帝国」というイメージ戦略です。
当時のイギリス政府は、敵国ドイツを“世界の悪者”に仕立て上げるために、巧妙な情報操作を行いました。
代表的なのが、「ドイツ軍がベルギーで市民を虐殺した」という報道。
イギリスの新聞はこの話を大々的に取り上げ、「無抵抗の民を殺す残酷なドイツ兵」というイメージを世界中に広めました。
しかし戦後、調査の結果、その多くが誇張や虚偽だったことが判明します。
実際には、戦時下の混乱の中での事件を大げさに伝え、感情をあおる形で報道されていたのです。
こうした情報は、当時の一般市民に強い影響を与えました。
「ドイツは恐ろしい国だ」「この戦争は正義のために戦わなければ」という“世論の空気”ができあがり、
それが結果的に、各国の参戦を後押ししていきました。
人は“論理”よりも“感情”で動く生き物です。
恐怖や怒りを刺激する情報ほど、信じやすく、そして広まりやすい。
これは現代のSNS社会でもまったく同じ構図ですよね。
100年前の情報戦は、今の時代にも通じる「情報リテラシーの教科書」と言っても過言ではありません。
2. 「誤情報」が戦争を拡大させたメカニズム

2-1. SNSのない時代でも“拡散”は起きていた
今でこそSNSが情報拡散の中心ですが、第一次世界大戦の頃にも“情報の伝播”は驚くほど速かったのです。
新聞、ポスター、街頭演説──これらが当時の「Twitter」や「YouTube」のような役割を果たしていました。
たとえば、戦場で起きた小さな事件が誇張され、翌日には全国紙で“英雄的ニュース”として報じられる。
一方で、敗北や悲惨な現実は検閲で報道されない。
結果として、人々は「正しい情報」ではなく、「聞きたい情報」ばかりを信じていきました。
特に問題だったのは、情報の“速度”が“精度”を上回ったこと。
誰もが冷静に確認する前に、「あの国が攻撃したらしい」「敵が非道な行為をしたそうだ」といった話が独り歩きしてしまったのです。
つまり、当時も“バズ”はあったということです。
ただその“バズ”が、SNSではなく新聞やポスターで起きていた。
そして、その一つひとつが、人々の怒りや恐怖をあおり、戦争の火を大きくしていったのです。
2-2. 政府とメディアの一体化
もう一つの問題は、政府とメディアが“ほぼ一体化”していたことです。
各国政府は、「国家のために」という名目で報道の自由を制限。
新聞や雑誌には厳しい検閲が入り、政府の方針に反する記事は削除、あるいは発行禁止。
反戦的な意見を持つ記者や市民は“非国民”扱いされ、声を上げることすら難しくなっていきました。
つまり、社会全体が「戦争に賛成するのが当たり前」という空気に包まれていったのです。
一方向の情報しか流れなくなると、人は“自分で考える力”を失います。
「みんながそう言っているから」「国が言うなら正しいだろう」という思考停止が、結果として戦争を後押ししてしまった。
現代の私たちも、政府やメディアが発信する情報を“無条件に信じる”ことの怖さを、この時代から学ぶべきかもしれません。
意図的な情報操作ではなくても、「偏った情報の洪水」が世論を動かすのは、今も昔も変わらないのです。
3. 情報操作が生む“敵と味方”の二元思考

3-1. 「正義 vs 悪」という構図の罠
第一次世界大戦では、どの国も「自分たちこそ正義」だと信じて戦っていました。
イギリスやフランス、ロシアは「自由と人権を守るための戦い」だと国民に訴え、
一方でドイツやオーストリアは「包囲網に追い詰められた我々が生き残るための防衛戦だ」と主張していたのです。
つまり、どの国も“悪”ではなかった。
それぞれに「守りたいもの」があり、「譲れない正義」があった。
しかし、情報操作によって“相手を悪に見せる”宣伝が繰り返されるうちに、
人々の心には「敵か味方か」という単純な線引きが生まれました。
やがて国民もメディアも政治家も、すべてがその“物語”の中に飲み込まれていく。
「相手にも言い分がある」「冷静に話し合おう」という声は、
「裏切り者」「弱腰」と批判され、社会から消えていったのです。
この「正義 vs 悪」という構図は、戦争だけでなく現代社会でもよく見られます。
職場の人間関係、SNSでの議論、政治的な対立…。
“自分の意見こそ正しい”と信じた瞬間、相手の言葉を聞けなくなってしまう。
実はそこにこそ、情報操作の怖さが潜んでいるのです。
3-2. 感情が理性を奪うメカニズム
「怒り」や「恐怖」といった感情は、理性的な判断を一瞬で吹き飛ばします。
そして、人はその感情を刺激する情報ほど“信じたくなる”という傾向があります。
心理学ではこれを「ネガティビティ・バイアス」と呼びます。
ポジティブな情報よりも、ネガティブな情報の方が強く印象に残り、
共有したくなり、広がりやすくなる。
第一次世界大戦中も、まさにこの現象が起きていました。
「敵軍が子どもを襲った」「女性を傷つけた」──そんな“怒り”を煽る報道が、
検証されないまま広がり、人々の心を一気に戦争モードへと導いたのです。
そして、いったん感情が燃え上がると、人は後戻りできなくなります。
「ここで止めたら、死者を裏切ることになる」「途中でやめるのは卑怯だ」
そんな心理が集団の中で強まり、結果として誰もブレーキを踏めなくなる。
つまり、戦争は“誤情報”よりも“感情の暴走”で拡大していったのです。
現代でも、SNSやニュースで怒りや不安をあおる情報が流れたとき、
私たちは無意識にその“感情の連鎖”に巻き込まれがちです。
だからこそ、ひと呼吸おいて「これは本当に事実か?」と考える力が、
情報社会を生き抜く上での最大の“防衛力”になるのです。
4. 戦後に明らかになった「情報操作の実態」

4-1. 英国の“ウェリントン・ハウス”の秘密工作
第一次世界大戦中、イギリス政府はロンドンに“ウェリントン・ハウス”という秘密機関を設立しました。
これは、世界初の本格的なプロパガンダ(世論操作)機関。
目的はただひとつ——「国民と中立国に、イギリスの正義を信じさせること」でした。
彼らは新聞やポスターだけでなく、映画、絵画、書籍といったあらゆるメディアを駆使しました。
特に有名なのが、「ドイツ軍がベルギーで市民を虐殺した」という報道。
後に多くが誇張や虚偽だったと判明しましたが、当時は人々の感情を大きく揺さぶり、
「ドイツは野蛮だ」「この戦いは正義の戦争だ」と信じる人々を増やしたのです。
この“物語”は、やがて中立だったアメリカの世論にも影響を与えました。
「民主主義を守るために、参戦すべきだ」という空気が高まり、
結果としてアメリカ参戦の大きな後押しになったとも言われています。
つまり、戦争の勝敗だけでなく、
国民の感情すら「情報」で動かされたということ。
現代の私たちから見れば、「そんな誤情報に騙されるなんて」と思うかもしれません。
でも、SNSやメディアがあふれる今も、似たような“感情操作”は形を変えて続いているのです。
4-2. “戦勝国の正義”が歴史を形作る
戦争が終わったあと、残るのは「勝者の記録」です。
敗者の主張や言い分はかき消され、歴史教科書には“勝った側の物語”だけが残る。
これは第一次世界大戦でも同じでした。
イギリスやフランスは、自国の行動を正義として描き、
ドイツは「侵略国家」として扱われた。
しかし、戦後の資料を掘り起こしていくと、
どの国も同じように誤解と恐怖の中で動いていたことがわかってきました。
つまり、歴史とは「真実」ではなく、「信じられた物語」でできているのです。
そして、この構造は現代でも変わっていません。
ニュースの切り取り方、SNSのコメント欄、企業の広報…。
「どの視点で語られるか」で、同じ出来事でも印象がまるで違って見えます。
だからこそ、私たちは“情報を疑う”というよりも、
「どんな立場から発信されているのか」を意識して見る力が必要です。
歴史を学ぶ意義は、過去を暗記することではなく、
「同じ過ちを見抜ける目」を養うことにあります。
ウェリントン・ハウスのような情報操作の歴史を知ることは、
情報社会を生きる私たちにとって、最も現代的な“防衛術”とも言えるのです。
5. 現代に通じる「情報操作のリスク」

5-1. SNS時代は“誰でも発信者”
第一次世界大戦では、新聞やポスターが「情報操作の武器」でした。
しかし現代では、SNSがその役割を担っています。
しかも今は、“政府”や“メディア”だけでなく、
誰もが情報を発信できる時代です。
その結果、「情報の真偽」よりも、「感情の共鳴」が重視されるようになりました。
怒り・不安・正義感といった感情を刺激する投稿ほど拡散され、
多くの人が「これは本当だ」と思い込んでしまう。
まさに、100年前の「ベルギー虐殺の報道」と同じ構図が、
スマホの中で日々繰り返されているのです。
しかも厄介なのは、情報が一瞬で世界中に届くスピード。
誤った情報が数時間で拡散し、事実よりも“印象”が先に定着してしまう。
そして、一度できたイメージは、後から訂正してもなかなか消えません。
だからこそ、今の時代に必要なのは、
「情報を疑う力」ではなく——
**“情報に飲み込まれない力”**です。
情報に一喜一憂せず、自分の頭で考える。
感情ではなく、データや一次情報を確かめる。
その習慣こそが、現代社会での最大の防御力になります。
5-2. 「感情ではなく、意図を読む」習慣を持つ
第一次世界大戦の情報操作が教えてくれるのは、
「発信者の意図を読み取ること」の大切さです。
現代でも、ニュース・SNS・広告、どれも“発信の目的”があります。
そこには「誰に、何を信じてほしいか」というメッセージが必ずある。
だから、情報を受け取るときには、
次の2つの問いを自分に投げかけてみてください。
-
「この情報を流しているのは誰か?」
-
「それを信じることで、誰が得をするのか?」
この2つを考えるだけで、情報の見え方はまったく変わります。
たとえば、SNSで炎上している話題も、
“感情的な反応”より“冷静な分析”で見れば、
意外と誰かの思惑が透けて見えることがあります。
そしてもう一つ大事なのは、
「怒り」や「不安」で判断しない癖をつけること。
感情的になると、情報を精査する余裕がなくなります。
まさに戦時中の人々がそうだったように、
「怒りの輪」に加わることで、知らないうちに誰かの意図に巻き込まれてしまう。
だからこそ、現代を生きる私たちには、
「感情ではなく、意図を読む」視点が求められています。
情報の波に流されず、自分の頭で考える——
それは、100年前の戦争から学べる“平和の知恵”なのです。
まとめ
第一次世界大戦は、銃や砲弾よりも、
**「言葉」や「情報」**が人々を戦場に向かわせた時代でした。
誤った報道や感情的な宣伝が、人の心を動かし、
やがて国家をも動かしていった。
つまり、“戦争を生んだのは情報だった”とも言えるのです。
そして、これは100年前の話で終わりません。
現代では、SNSという新しい舞台で、
同じような「情報の戦争」が日々起こっています。
誰かの発言が炎上し、デマが広がり、
「敵か味方か」と二極化してしまう光景——
それは、当時の「プロパガンダ」と本質的には変わらない構造です。
だからこそ、今の時代に必要なのは、
「何を信じるか」を自分で選び取る力。
つまり、**“情報を見抜くリテラシー”**です。
情報の洪水の中で、感情ではなく意図を読み、
一歩引いて冷静に考える習慣を持つ。
それが、現代における“知的な防御力”になります。
歴史を学ぶことは、過去を懐かしむためではありません。
同じ過ちを繰り返さないための“盾”を手に入れること。
100年前の教訓を胸に、
私たち一人ひとりが「情報に踊らされない人」になれるかどうか——
それが、これからの時代の「本当の知恵」なのかもしれません。


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